私は はな。
長いまつげと真っ黒な瞳の犬です。
ある日 気がついたら 元のご主人さまはいなくて、私は とても狭くて 冷たいコンクリートの部屋にいました。
悲しくて、寒くて、眠れない。
咳がたくさん出てきたし、このまま死んでしまうのかしら。私はおばあちゃんだから、仕方ないのかな。
私のいのちを包んでいたリボンが解けて行くのを感じて、私は不安で背中を丸めて歩き回っていました。
そんなある日、私を迎えに来てくれ、冷たい場所から連れ出してくれた女の人がいました。
その女の人は杏さん。
私のように おうちがなくなった犬や猫を引き取り、本当のお家を探してくれるお仕事をしてて、私も杏さんの家に行くことになりました。
杏ちゃんのお家は、仲間もいて、美味しいご飯も食べられて、杏さんもとても優しくて安心。ゆっくり、眠ることができます。
でも、夜目を覚ますと星の歌に乗って私を呼ぶ声が聞こえます。
「はなちゃん、ここよ。はなちゃん、待っててね」
その声がどこから聞こえるのか、誰の声か分からなかったけれど、きっと迎えに来てくれる。だって杏さんもそう言ったんだもの。
私はまだ会ったことのないその声の主を待っていました。
冬のある寒い日に、突然その声の主はやってきました。
ソファの下にうずくまっていた私の目をそっと覗き込んで
「私 モモっていうの。あなたのこと、ずっと待っていたのよ。
私のお家に来てくれるかしら。
あなたと暮らして、一緒に幸せになりたいの」
なんて、素敵な女の子!
目をキラキラさせた、優しそうなモモちゃんのことを、私は大好きになりました。
初めてモモちゃんの家で眠る夜は、ちょっぴり不安だったけどモモちゃんは背中にずっと手を当てて子守唄を歌ってくれました。
「もっと、もっと、たくさん安心していいからね。あなたは私の大切なバディだから」何度も目をさます私に、モモちゃんは何度も話しかけてくれました。
ももちゃんの家はあったかくて、たくさんのお客様が来るお家。
モモちゃんの家に来るみんなが、可愛い、可愛いと私を撫でてくれます。
道行く人も、可愛い、可愛い!と立ち止まって話しかけてきます。
もしかして!私って、捨てられたおばあちゃん犬ではなくてみんなのアイドルかしら?!尻尾はピンと立って、桜並木をお澄まし歩き。いい気持ち。
ももちゃんはお歌が大好きで、私のための歌を、たくさん歌ってくれました。
朝は 元気に「はなちゃんのサンバ!」
ハナーナナ ナナーナナーナーナ!はなちゃん!
ハナーナナ ナナーナナーナーナ!可愛い!
ハナーナナ ナナーナナーナーナ!素敵!
マッサージの時間は優しい「はなは宝物だよ」の歌。
宝物だよ
宝物だよ
はなは宝物だよ
大好きなんだもの
はななんだもの
ずっとずっと一緒だよ
夜は、モモちゃんの家に来た時に歌ってくれた優しい子守唄を歌ってくれるモモちゃん。
私の耳は、あまり聞こえなかったけれど、モモちゃんの歌は私のハートにこだましました。
夜中に目を覚ますとモモちゃんの寝顔がそばにあって、私はモモちゃんのそばにいられる幸せを、毎晩噛み締めてうっとり眠りにつきました。
モモちゃんに会えて良かったって。
私は病気がたくさんあって、あまり走れなかったり、不安でおもらしをしてしまったり。そんな私もモモちゃんは大丈夫、大丈夫と励ましてくれました。
モモちゃんの家に来た時にはフケもたくさん、お咳もたくさん出ていたけれど、モモちゃんのマッサージと美味しいご飯で私はどんどん元気になっていきました。
時々どうしてこんなに可愛がってくれるの?この幸せはずっと続くの?と見上げると、モモちゃんは決まって
「はなちゃんのことを大好きなのに理由はないのよ。はなちゃんはいてくれるだけで、私の宝物なんだもの。ずっとずっと一緒よ」と抱きしめてくれます。
そうか、私は、モモちゃんの宝物なんだ!ずっとここにいていいんだ!
そんなモモちゃんにくっついてお昼寝するのはなんて幸せな気分。
夏が来て、秋が来て、また冬が来て…モモちゃんはたくさん色々なところに連れて行ってくれました。
秋には枯葉の上を歩き、寒い日はモモちゃんのストールに一緒にくるまりホカホカ。
いつでもどこでも一緒にいたいからモモちゃんのトイレにも、お風呂にもくっついていき、モモちゃんに笑われました。
愛されるってあったかい。
一緒って幸せ。
モモちゃんは私の全部が大好き。
私もモモちゃんの全部が大好き。
ほどけかけていたいのちのリボンが結ばれて、私は胸を張ってルンルンと、モモちゃんと季節を一つずつ歩いて行きました。
けれど、私には分かっていたのです。
モモちゃんとの時間が、そんなに長く残っていないことを。
「大きなお母さん」との約束。
魂のスケジュール。
モモちゃんとの幸せの時間を味わって、いのちのリボンを結びなおして貰ったら、この疲れた身体を抜け出して、まあるく整ったいのちとして あの温かい輪っかの中に還っていく約束。
そして、その日はモモちゃんが思っているよりも近いことを。
でも、モモちゃんを置いて行くのはとても心配です。
動物の魂は、あの温かい輪のことを覚えているけれど、人間の多くは忘れてしまっているからです。
二度目の春が近づく中で、少しずつ、少しずつ弱っていく私を、モモちゃんは一生懸命大切にしてくれました。
「何があっても大丈夫。私がはなちゃんを毎日、毎日大切にするよ。」
でもモモちゃんの目の中にも不安が宿っていました。
ある春の夜、私の胸は急に苦しくなって来ました。
ああ、その時が来るんだな。
モモちゃん、モモちゃん、大好きなモモちゃん。
モモちゃんは驚いて私を抱きしめて、涼しい風の吹く場所へ連れて行ってくれました。
大好きなモモちゃんが洗濯を干しているのを、いつも眺めていた場所。
二人でかくれんぼしたあの場所へ。
ああ、モモちゃんの胸の上で旅立てるなんて幸せだな。あったかいな。
モモちゃん、大好き。
モモちゃん。ありがとう…ありがとう…
大好きな春の風に乗って、私はピカピカのリボンで包まれた、ピカピカのいのちとして、胸を張って大きな輪の中に還っていきました。
ああ、ここは温かい…。
モモちゃんの胸の中とおんなじだよ。
大好きなモモちゃん。
疲れたから、少し、眠るね。
ひと眠りしてふと下を見ると、大変!
私とのお別れに胸が張り裂けてしまったモモちゃんの、いのちのリボンがほどけかけています。
頑張り屋のモモちゃんは、私をとても大切にしてくれたけれど、自分が困っている時でも頑張ってしまう女の子なのです。
どうしよう!ああ、モモちゃん!まってて。いま行くから。
私はあの大きな輪の真ん中にいる「大きなお母さん」にお願いしました。
「大きなお母さん」は、ニコニコしながらたくさんのお手紙を書いてくれました。
私はモモちゃんの友達や家族に、一つずつ届けて回りました。
「モモちゃんに この本を教えてあげてください」
「モモちゃんを 抱きしめてあげてください」
「モモちゃんにこの映画を見せてください」
「モモちゃんが泣いている間、ゆっくりそばにいてください」
「モモちゃんに、私は今元気でここにいるって伝えてください」
みんなのおかげでモモちゃんは、少しずつ笑顔を見せるようになりましたが、私には分かります。
夜一人になるずっと泣いていて、いのちのリボンがほどけかけたまま、結ばれていないことを。
なんとかしてモモちゃんに伝えたい、モモちゃんのいのちのリボンを結びなおしたい。
そうだ!歌だ!
モモちゃんが私に優しく毎日「はなの歌」を歌って、私のいのちのリボンが結ばれなおしたように、私がモモちゃんに歌を届けたい。
私は、合唱をしているモモちゃんのお友達のゆうこちゃんを思い出して、お手紙を届けました。
「モモちゃんのために、私と一緒に歌ってください」
ゆうこちゃんと一緒に私も一生懸命歌うから、どうか、モモちゃんに届いて。
ゆうこちゃんの歌に合わせて、私も歌います。
モモちゃん。大好きなモモちゃん。
魂のスケジュール通り
モモちゃんに出会って
モモちゃんとの時間を過ごして
はなは まんまるの いのちになったの。
モモちゃんが歌ってくれたから
宝物だって抱きしめてくれたから
いのちのリボンを結んでくれたから
はなはまんまるの いのちになったの。
今度ははなが歌うよ
モモちゃんの歌を
モモちゃんは私の宝物
ずっとずっと宝物
モモちゃんのいのちのリボンを
はなが結ぶよ。
歌い終わるとモモちゃんの悲しい涙が、温かい涙に変わっていました。
ああ、良かった。
モモちゃんに届いたのね。
モモちゃんのいのちのリボンが結び直されているのが見えました。
そのリボンの先を見ると…「わあ、私のリボンとモモちゃんのリボンがつながってる!」
さらに二人のリボンをたどっていくと、数えきれないいのちがキラキラのリボンでつながっていて、どこからか吹いてくる緩やかな風に乗って、瞬くお星様のように綺麗に揺れています。
「みて、モモちゃん、必ず、またきっと会えるね。
だって、全部繋がってるんだもん!離れられっこないよね。」
「本当だね、はなちゃん。
離れられっこないんだねぇ。」
ももちゃんも涙を拭いて、あの優しい目で見つめ返してくれます。
二人ではなをくっつけて、ニコニコ笑います。
二人はそれから、リボンをクルクルと回しながら「はなちゃんのサンバ」を踊りました。
二人のリボンが嬉しくて揺れるたびに、全部のリボンも嬉しそうに揺れます。
たくさんたくさん踊り疲れてモモちゃんが眠ったのを見届け、私も大あくび。
今は二人とも、あったかいね。
今夜はゆっくりいい夢をみてねモモちゃん。
私がまたモモちゃんのところに生まれ変わるスケジュールを立てていること、モモちゃんは気づいてたかな。
またね、モモちゃん。
また必ず会えるからね。